Episode1 転校生
教室に続くまっすぐな廊下を歩いて行く。
ガラス窓の向こうには、桜並木が広がっていて満開の花を咲かせている。その後ろには美しい青色が広がっている。たしか日本の伝統色では『青天』って言うんだっけ。
しかし転校生の僕の心はそれに反して曇っていた。
(憂鬱だ…自己紹介…名前を言うだけでいいかな…いやそれだと暗い奴だって思われるかな……でも実際そんな明るい方じゃないし)
頭の中でぐるぐる考えを巡らせていると、すでに教室の前まで来ていた。
担任教師が笑顔で僕に言う。
「自己紹介、よろしくな」
「は…はい」
教室に足を踏み入れると、ざわざわと騒がしい教室がピタッと静かになった。そして僕は部屋の中にいるほぼ全員の視線がビシッともれなく自分に注がれているのを感じた。
「……あの…タクヤです…」
(名前だけじゃなくって…何か言わなきゃ…)
「趣味は読書…です」
なんとかそれだけを言うだけで精一杯だった。顔が熱くなるのを感じながら、担任教師に指示された席につく。それでもまだ心臓がバクバクしているのがわかる。
とにかくすごくイヤな一仕事を終えてホッとすると僕はいつものように机に両肘をついて背中を丸めると息を潜めるのだった。小動物が肉食動物に見つからないようにする防御の姿勢……。その時だった。
「タクヤ!」突然、自分の名前を呼ばれて思わず顔をあげると、黒板に僕の名前が書いてあった。『図書委員 タクヤ ヤヨイ』
偶然にも前に座っている女子が振り返ると微笑みながら言った。
「よろしくね、タクヤくん」
それがヤヨイとの『出会い』だった。
Episode2 図書室
転校初日の挨拶で、『趣味は読書』などと言ったせいで僕は図書委員になってしまった。それから一ヶ月、放課後はほぼ毎日、図書委員の仕事をしている。
「一ヶ月にだいたい何冊くらい、読む?」
放課後の図書室で同じクラスのもうひとりの図書委員、ヤヨイが本棚の整理をしながら尋ねてきた。
「……え? えっと…」
するとヤヨイが代わりに答えていた。
「私はね。だいたい六十冊くらい…」
「それ一日に二冊くらい読むってことだよね」
「すごい……読書家なんだね」
「まぁ、マンガも入ってるからね」
「そっか…」
(それならなんとなくわかる。)
「どんなジャンルが好き?」
「そうだな……ミステリーとか…かな」
「私も同じ…。あのさミステリーが好きな人って内向的な人が多いと思うんだよね」
「そうなの?」
「私、調べ…」
そう言うとふふふっと笑った。
同じジャンルの本を整えている僕に向かって、ヤヨイが遠慮がちに聞いてきた。
「その手の傷……怪我したの?」
「ああ…これ? 生まれた時からついてたみたいで」
僕の手の甲には傷がある。
「痛そうだね」
「…って言っても怪我した記憶がないからね」
その時、午後六時を告げるチャイムが鳴り響いた。
(帰らなきゃ…)ふと僕の心の中にそんな思いがよぎった。
「もう六時だから。そろそろ帰らない?」
僕が時計を指してそう言うとヤヨイの表情が暗くなったような気がした。
「……私はもう少しやっていこうかな」
「じゃあ、また明日」
そう言うとヤヨイは笑顔を向けた。
「じゃあ」
僕はヤヨイを残して図書室を後にした。
(一緒に残った方がいいかな…)
一瞬、そう思ったが、僕は結局ヤヨイを残したまま図書室を後にするのだった。
Episode3 輝き
夏休みになった。
新学期に図書室に新しい本と本棚が届くというので、僕達はそのために週何日か本の整理をすることになった。
「お腹空くと思って…」
初日の今日、ヤヨイはおやつを持ってきていた。他の図書委員に隠れて階段の踊り場でこっそりヤヨイのお手製のシュークリームを食べていた時だった。
「好きなの?」
突然のヤヨイの言葉に僕は驚いて手にしてたシュークリームを落としそうになった。
「え?」
「あっ、シュークリームのこと」
「え? ああ、うん」
「よかったぁ。カスタード、苦手とか言う人もいるじゃない。前もって聞いておけばよかったなって。他に好きなスイーツは?」
「う〜ん。チーズケーキ…」
(……っていうかチーズケーキしか思い浮かばない…)
「じゃあ、明日、作ってくる」
「作れるの?」
「もちろん」
そう言うと微笑んだヤヨイの笑顔が陽の光に輝いて見えた。
「………」
六時を告げるチャイムが鳴っている。
その音を聞きながらヤヨイは少し悲しそうな顔になった。
「どうかした?」
「…タクヤくん、そろそろ帰るんでしょ?」
「いや、今日はまだ帰らなくてもいいかな」
「ほんと? 今までずっとタクヤくん、先に帰っちゃうからちょっと寂しかったんだよね」
そういうとヤヨイはまた嬉しそうに笑った。
その笑顔がとても可愛くて、僕もこれからはもっと一緒にいたいと思っていた。
Episode4 影法師
図書室での作業の後、ヤヨイお勧めの古本屋へ行くことになった
転校してきてから四ヶ月近く『趣味は読書です』……という適当に言ったはずの言葉が本当になりつつあった。ヤヨイのおかげだ。
「古本って好きなんだよね。たまに前の持ち主の落書きとかしてあって。本も電子が主流になってるけど私はやっぱり紙派かな」
そう嬉しそうに説明してくれるヤヨイと並んで商店街を歩いていく。
ヤヨイと過ごす時間は楽しい。本の感想を言い合ったり、ヤヨイが作ってきてくれる手作りお菓子を食べたりするたわいもない時間が楽しくて仕方ない。僕はそう感じていた。
僕達は商店街を抜け海岸通に出ていた。
「ここだよ」
ヤヨイが立ち止まったのは古い洋館の本屋だった。その前でいきなりヤヨイはしゃがみこむと、驚いた僕に向かって言う。
「この箱の中にあるのは特価品なんだけど。結構、掘り出しものがあるんだよ」
そうヤヨイが言うので僕もヤヨイの隣にしゃがみこむ。西日が僕達の影を海岸通りの歩道に落としていた。
「見て、これ」
そう言ってヤヨイが一冊の本を示した本が思いのほか重かったようで落としそうになった。思わず僕はそれを受け止めようとした時、ヤヨイの手が触れあった。
その瞬間。思わずビクッとして僕は飛び退いた。すると僕の視界に海を真っ赤に染めて沈む夕日の真っ赤な色が飛び込んできた。
「!!」
ドクンと心臓の鼓動が耳の奥で高鳴る。
僕の脳裏に蘇る夕焼けの情景。
(夕焼け……)
夕日が僕達の影を道に落としている。
(影法師……)
ふと、自分の手を見ると、まっ赤な血に染まっていることに気づく。
目の前には血が付いたナイフを持ち目に涙をいっぱい溜めた着物に袴姿の女学生が立っている。誰? なんだ…。
女学生が口を開く。
「タクヤくん…好きなの…好きで好きで仕方がないの…だから…」
目の前にいた女学生は紛れもなくヤヨイだった。
そうだ。思いだした。僕はヤヨイに……。
「だめだ! 僕はヤヨイを壊してしまう」
次の瞬間、僕は真っ赤な夕日に染まった海岸線をヤヨイから逃げるように走っていた。
「だから、一緒にいてはダメなんだ」
今の精一杯を言葉にすると、僕はヤヨイを置き去りにして走り続けた。