Episode1 新入部員
放課後。グラウンドへと急ぐ私の唇に何かが当たってその冷たさに思わずドキッとした。
「なんだろう…」
恐る恐る唇に触れてその何かを手にしてみると、それはサクラの花びらだった。ふと目を上げると、中庭にあるサクラが風に舞ってきれいな花吹雪となっていた。
「………きれい」
少しの間、私がそれに見とれていると、グラウンドから野球部の部員達の声が聞こえたので、慌てた私は急ぎ足になる。私は野球部のマネージャーをしているのだ。
グラウンドに到着すると今年に入部した一年生のカズキ君とサトシ君が練習を始めていた。ふたりは私に気づくとすぐさま、たたみかけるように言ってくる。
「ラン先輩! どっちが足、早いかジャッジしてださい!」
サトシ君の言葉にカズキ君も負けずに言う。
「お願いします!」
同じ中学出身でその頃からバッテリーを組んでいるふたりは、普段はとっても仲がいいのに、何かと私の前では競争をしたがる。
「いいよ」
「じゃ、スタートの合図、お願いします!」
私の合図で二人はグラウンドを走り始める。
その姿を見つめているといつのまにかやってきたキャプテンが言う。
「あいつらランの気を引こうとしてるんだ」
キャプテンに言われる前から、なんとなくそのことは私にもわかっていた。私の視線の先でほぼ同時にゴールしたサトシ君が尋ねる。
「どっちが勝ちました?」
「引き分けだよ」
今度はカズキ君が悔しそうに言った。
「次は絶対に勝つからな!」
その表情は悔しそうというよりむしろサトシ君と勝負をするのが楽しくて仕方ない感じだった。
Episode2 勝負
日が暮れてもまだ暑さが残っている。練習の後片付けをしながら、私は結構大きな声のひとりごとを言ってしまった。
「やっぱり夏だな〜」
「夏と言えば〜」
「かき氷ですね〜」
その声に驚いて振り返るとそこにはサトシ君とカズキ君が立っていた。
「びっくりするじゃない…」
「ラン先輩、すみません!!」
「おどかすつもりはなかったです」
夏休みに入っても、相変わらずふたりの勝負は続いていた。
練習中の球拾いではどっちが沢山、ボールを拾ったか? とか、どっちが大きな声を出したかとか…ことあるごとに競っていた。
勝負は練習中だけでなく、練習後にも続いていた。どっちが多くボール磨きをしたとか…とにかくいろんなことで争っていた。
二人がブラシを手にしているのを見て、今日の勝負はどちらが早くグラウンド整備終えるかの勝負だと私には想像がついた。
「カズキ君とサトシ君がいつもすごい勢いでグラウンド整備頑張ってくれるから助かるなぁ」
私がそう言うと、サトシ君が口を開いた。
「いや、この勝負はどうしても勝たないと」
「いや、それは俺の台詞…」
サトシ君に負けずにカズキ君も答える。
「勝ち負けを決めてどうするの?」
素朴な私の質問にサトシ君の顔が赤くなる。
「え? 何?」
からかうつもりで言った言葉だったのに…。
赤面したサトシ君は突然走り去った。
「失礼します!」
カズキ君は軽く私に会釈して慌ててサトシ君を追いかけていった。
「もしかして…」
私はふと思っていた…。
Episode3 告白
「だから言っただろ。あのふたりはランに気があるんだって」
「そんなことないよ。ただゲームしてるだけでしょ」
部活の帰り道。キャプテンが話したいことがあると言うので、めずらしく今日はふたりで帰っていた。
「それより私に話したいことって何?」
私の言葉に突然、立ち止まるキャプテン。
深刻な顔をしている。
「え?」
私は考えを巡らせていた…なんだろう…もうすぐある他校との練習試合のことかな。そういえば、その時のスタメンのこともまだ聞いてなかったかな。サトシ君とカズキ君は中学の頃から注目されていたバッテリーだから、遂にレギュラー入れるってことかな? うん、あのふたりならきっと大丈夫。
「カズキ君とサトシ君のことなら…」
私がそう口にすると、キャプテンは困ったような顔になった。
「あいつらのこと、気になるのか?」
「気になるって……レギュラーの話じゃないの?」
「違う……」
「?」
「俺と……俺とつきあって欲しい」
「……」
あれ……? どうして私、困ってるんだろう? キャプテンの告白、待ってたはずじゃなかったの? 嬉しいはずじゃなかったの? でもなんだろう…心の奥の方からじわじわと不安が押し寄せてくる。
その時、誰かの気配を感じた。
見ると、そこには自転車に乗ったサトシ君とカズキの姿があった。
次の瞬間、サトシ君が黙ったまま自転車を走らせた。慌てて後を追うカズキ君。
雨が降り始めていた。
Episode4 心のままに
雨はどんどん激しくなっていく。
サトシ君と彼の後に続いたカズキ君を追って私も駆けだしていた。
「ラン!」
キャプテンが私を呼ぶ声が聞こえる。でも、何故か私は立ち止まることができなかった。
雨はますます激しく降っている。地面にたたきつける音が聞こえる。
その音を聞いていると、私の心はざわつきはじめた。どうして? 自分でも理由がわからない……。激しく動揺している…イヤな予感?
ふたりの自転車はもう見えない。雨が私の視界を遮っていく。打ちつけられる雨が濡れた道路に波紋を作っている。ザーッという音が私の視界をさらに塞いでいく。
車のブレーキ音が聞こえた。
「!」
必死で走る私の目の前に飛びこんで来た光景はサトシ君を抱きしめているカズキ君の姿。
ハンドルが歪んだ自転車が倒れている。交通事故? 車の運転手が慌てて降りてくる。
さらに激しさを増す雨。その雨の音を聞いている私の脳裏に一瞬、見たことのない……違う…これ、見たことある。
カズキ君が私に気づいて、雨粒と涙で濡れた瞳で私を見る。
激しい雨の音を聞きながら、私の記憶は蘇っていた。思いだした。あの時もこんな風に戦場となった河原でひとりの武士が傷を負ったもうひとりの武士を抱きかかえていた。
「想いを秘めたままはあしきこと。素直に心のままに生きてこそであろう」
その言葉が思わず私の口をついて出ていた。
顔をあげるカズキ君。
ちがう。むしろこの言葉は私自身にも向けた言葉。そう私は…あの時、好きでもない人の元へと嫁ごうとしていたのだ。
「大丈夫か!!」
キャプテンが叫びながらやってきた。
「救急車を!」
キャプテンの言葉にハッと我に返った私は慌ててスマホを取り出していた。
いつのまにか雨は小降りになっていた。
救急車で運ばれていくサトシ君。
「病院まで俺がつきそう」
そう言うとキャプテンは車に乗り込んだ。
バタンと扉が閉まると救急車がサイレンの音と共に走り去っていった。
「ひどい怪我じゃなくてよかった…」
そう言いながら私が救急車を見送っていると、カズキ君がぽつりと呟いた。
「…思いだしたんですね……姫」
「…カズキ君もでしょ?」
私の問いにカズキ君は黙って頷いた。
「…キャプテンと…つきあうんですか?」
私はクビを左右に振った。
「もう、同じ失敗は繰り返さない…流されたりしない…本当に心から愛する人が現れるまで誰ともつきあわない…」
「…そうですか…」
「カズキ君こそ、サトシ君に気持ち伝えたの?」
「………」
カズキ君は黙ったまま私の問いには答えなかった。
二日後。
サトシ君は元気な姿で部活に戻ってきた。
「大丈夫なのか?」
心配するキャプテンにサトシ君は笑顔で答えた。
「はい」
軽い脳しんとうだったそうでもう普通に野球をしてもいいとお医者様からお許しが出たそうだ。
そんなサトシ君にカズキ君が声をかける。
「サトシ、俺と勝負しろ。今から十球投げて全部ストライク取れたら俺の勝ち」
「ふっ、はなから俺の勝ちだな」
「やってみなきゃわかんないだろ」
グラウンドに向かう途中で、カズキ君が私を見た。
「キャプテンにはもう伝えたんですか?」
「うん」
キャプテンには「つきあえない」と返事をしていた。さすがにがっかりした様子だったが、すぐに気持ちを切り替えてチームのために良い関係でいようと言ってくれた。
「俺が勝ったら、素直にサトシに気持ち伝えます」
「勝っても負けてもでしょ」
「……はい」
キャッチャー防具をつけたサトシ君が、
「カズキ! 早くしろよ!」
と呼んでいる。
「おう!」
そう答えるとサトシ君はマウンドへ向かう。
私はその背中を「がんばって」と見送った。