Episode1 花壇
昇降口を出るともうすっかり日が暮れかけている。
(ちっ…なんでこんな時間まで…)
思わず小さく舌打ちをしてしまった。本当だったら今頃、皆でカラオケに行って思いっきり歌ってるはずなのに。
ド派手なネイルカラーをしているのを生徒指導の教師に見つかって今までお説教をくらっていたのだ。
二言目には「高校生なんだから…」とか、「まだ早いでしょ…」とかもう聞き飽きたんだけど…。
(高三の今しかやれないことだってあるってことを、なんで分かってくれないかな…。明日は見つからないようにカラコンしてこよう…せめてものレジスタンス…なんてね…)などと想いつつ正門へ向かって歩いていると視界の隅に花壇が飛び込んできた。
(あれ? こんなところに花壇なんてあったっけ?)
足を止めて花壇にかがもうとした時だった。
「ハ、ハナエさん…あ…あの……」
遠慮がちではあるがはっきりとした意志が感じられる声だった。
振り返るとそこに立っていたのは……確か同じクラスの…ワカバとかいう名前の子だっけ…。
「そ…その花壇、園芸部の…なんです…」
「だから?」
「あ…いえ…その…」
ワカバの表情が今にも泣きそうになる。
(え? そんなキツい言い方してないつもりなんだけど…泣かれると面倒くさいな)
少し優しい口調で話すことにする。
「あっ、ごめん。荒らすつもりはないんだけど。こんなところに花壇があるなんて今まで気づかなかったから。綺麗だなって思っただけ」
あたしがそう言うと、ワカバはホッとしたような表情になった。
「よかった…」
「っていうか、こんな綺麗に咲いてる花、踏みにじったりしないし。そんなことするように見える?」
「いえ、ごめんなさい。そういうつもりじゃなくって……」
そう言うとワカバはまたしても泣きそうにな表情になる。
(ああ、もう面倒くさいなぁ)
「じゃ、行くね」
そう言うと足早にあたしはその場を後にするのだった。
Episode2 メイストーム
昨晩は激しい風と雨が吹き荒れていたが、朝起きると、嘘のように晴れていた。
テレビで天気予報士が言っている「昨晩は温帯低気圧の急速な発達によりメイストーム…いわゆる春の嵐が襲来しました」
制服を着ながらふとあたしの脳裏に学校の園芸部の花壇がよぎった。
(大丈夫かな……)
何故かガラにもなく心配になり、次の瞬間、家を飛び出していた。
「ハナエ、朝ご飯は?」
ママの声に、
「いらない!」
と背中で答えて玄関を飛び出していた。
学校について園芸部の花壇に向かうと、そこにはすでにワカバの姿があった。
「…ワカバ…」
「ハナエさん? どうして?」
あたしはワカバの問いには答えず花壇に目をやり口を開いた。
「昨日の嵐、すごかったね」
そう言いながら花壇を見ると、吹き荒れた風に多少、倒された花はあったもののあたしの想像よりはるかに被害は少ない。
ワカバは微笑みながら言うのだった。
「意外に強いと思いません? この子達…」
「そうだね…昨日の風、すごかったら、蕾が吹きとばされちゃったんじゃないかなって思ってたけど…ビオラとかイングリッシュデージー、それに沈丁花も…元気でよかった…」
あたしの言葉にワカバが顔を輝かせる。
「あの…ハナエさんって…お花、詳しいんですね」
「なになに、その意外そうな顔、それくらいわたしだって知ってるし」
「あっ、ごめんなさい。そういう意味じゃなくって…つい嬉しくて…」
「うちの母の実家…つまりはおばあちゃんの家にイングリッシュガーデンみたいな庭があってさ。小さい頃からよく遊びに行ってたから…」
「イングリッシュガーデンですか! 素敵!」
ワカバの顔がぱあっと明るくなった。
「まっ、ちっこいやつだけど…」
「でもでも素敵です。羨ましいなぁ」
と微笑みながら目を輝かせた。
その笑顔を見ていたら思わずあたしは言っていた。
「見に来る?」
「え? いいんですか!?」
(え? あたし、今、何、言っちゃった?)
「ありがとうございます!」
嬉しそうに声を弾ませるワカバを見ていたら、
(まぁ、これもありかな…)
とあたしは思え、なぜだか自分も楽しくなっていることに気づいていた。
Episode3 イングリッシュガーデン
結局、あのメイストームが吹き荒れた週の週末、あたしはワカバを伴って祖母の家を訪れた。ワカバは祖母の家の小さなイングリッシュガーデンにものすごく感激して、祖母の庭に咲く花や自慢のハーブ園にも興味を示した。
「今日はありがとうございました」
祖母の家からの帰路、まだ興奮が冷めやらないといった感じのワカバ。
「大切なハーブまで分けていただいちゃって…」
「いえいえ、おばあちゃんもあんたと同じくらい喜んでたから、むしろこっちの方がありがとうって感じだよ」
それからというものワカバとあたしは放課後の花壇で話したりするようになった。
ある日、いつも一緒に遊んでいるクラスメイトが不思議そうに尋ねてきた。
「ハナエさ、放課後、よく花壇のところでワカバと話してんじゃん。あんな地味な子と話題あんの?」
「え? なんで?」
「うちらとあの子、共通点、皆無じゃん?」
うまく説明できなくて黙っているとクラスメイトはさらに続けた。
「まっ、ワカバが一方的にあんたのこと好きって感じならわかるけど…」
「え? それ、どういう意味?」
その時、背後でバサバサッと音がしたした。
振り返るとワカバが落とした花の画集を拾っている。
「ワカバ…」
ワカバは何も言わずにその場から立ち去っていった。
クラスメイトはふふっと笑って言った。
「案外図星だったりして…」
「! ………」
次の瞬間、あたしはワカバを追いかけていた。
ワカバは花壇の前にしゃがみこんで花の世話を始めていた。
「なんで逃げたの?」
「……ハナエさんに迷惑がかかると思ったので…」
「…別に迷惑だなんて。っていうか友達がなんか変なこと言って…あんなのただのおふざけだから…」
あたしの言葉を遮るようにワカバは言う。
「私……好きな人、いますから」
あたしを見ないままそう吐き捨てるように言う。
「……いるんです…」
その答えに驚いたあたしは尋ねた。
「誰……?」
「…同じクラスの…アキラ…君…です…」
「え? アキラ?」
ワカバの気持ちを聞いたあたしはすごく嫌な気分になっていた。
Episode4 沈丁花
「え?」
「お膳立てしてあげようか?」
あたしがそう言うと、困ったような顔するワカバ。
「…いいです」
「せっかく好きな人がいるのに気持ちを伝えないまま終わるなんて…高校三年生の今しかできないことってあると思うよ」
あたしの言葉に黙って頷くワカバ。
「じゃ、決まりってことで…」
さっそくキューピット役を買って出た私はアキラにワカバが話したいことがあるから、放課後中庭の花壇で待ってると告げた。
「だいたい何の用か察しはつくでしょ…」
あたしの言葉にアキラは怪訝な顔をしていたが、やがて小さく頷いた。
早速、ワカバにうまく言ったと伝えると、
「わかりました…」
消え入りそうな声で答えた。
「じゃ、そういうことで…」
あたしはワカバに背を向けた。
けど、何だろう。この重い気持ちは…。午後の授業の間中、鉛の塊を飲み込んだように息苦しかった。
放課後。
花壇の見える渡り廊下の柱の陰から、ワカバの様子を見守っていた。
やがてアキラがやってくる。ワカバは俯いたままぽつりぽつりと何かを語っている。
「………」
よくは聞こえない。けど、きっとあの子なりに一生懸命に自分の気持ちを伝えていることだろう。気持ちが届くといいなとあたしは自分に言い聞かせようとしていた…けど…。
(ああ、ダメだ。なんか耐えられない!!)
その場を去ろうとした時、ふいに風が吹いた。
その風が沈丁花の香りを運んでくる。
(沈丁花の…香り………)
あたしの脳裏にワカバの声が聞こえる。
「花の香りに誘われて…私…決して許されぬ恋をしたんです…」
目の前にはワカバが立っている。
「ワカバ………? そうだ…あたしと…ワカバは……」
ワカバがあたしの前から去って行ってしまった…あの時と同じだ…え? あの時って?
次の瞬間、視界が白くとんでいった。
気がつくとあたしは保健室にいた。
「え? ………」
慌てて上体を起こすと、心配そうにワカバがあたしをのぞき込んでいる。
これって…どこかで見たことがある…そうあの時…。
まるで昔のフィルムのようにセピア色をした記憶が蘇ってくる。
記憶? え、待って……そもそもこの記憶って…?
記憶の中のワカバが一枚の絵を抱えている。
そうだ、あたしは…。
「やっと会えましたね、ハナエさん」
「うん…」
ハナエの口から思いが溢れてくる。
「叶わない思い…許されない思い…けど、それでも、願って…願って…祈って…祈って…」
瞳から涙を滲ませながらワカバはあたしに抱きついてきた。
「ワカバ……」
あたしはそんなワカバの全部を受け止める。
「…こうやって…触れあったり…話したりする日を待っていました…やっと…叶いました…ずっと…ずっと…私が好きなのは…」
「知ってる。その想い痛いほど…もうわかったから…」
白いカーテンが揺れて、ワカバの髪から沈丁花の香りがした。